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食事と多読

 昨日、ようやく悪の教典を読み終わりました。
 面白かったです。
 またしても僕は打ちのめされました。
 読み終わった後はずっと、溜め息ばかり吐いていました。
 それは嘆息でもあり、感嘆でもあります。自分が惨めで矮小な蟻のようになって、巨大な人間がのしのし歩くのを見上げるような心持ちになったり、純粋にこんな本に出会えて読めて良かったと感謝し、ハスミン、マジぱねえっすって気持ちになったり。やっぱり貴志祐介はエロゲーマーだなと思ったり。

 文庫本の解説に映画版の監督が筆を執っていて、それにも好感を抱けました。だから、原作→実写っていうのが僕にとって割とタブーであっても、悪の教典は見ようかなと思います。評判もいいですしね。

 貴志祐介の作品を読んでいて思ったのですが、僕の知っている文学とは対照的に、かなり淡々と描かれている気がします。
 文学が感傷的であるとしたら、貴志祐介作品は、文学ではない、と言ってもいいかもしれません。でも実際は別に文学が感傷的であらねばならないなんてことはないので、勿の論、これも文学ですよね。


 それで本題なのですが、読み終わってからしばらく考え事に耽っていた訳ですが、ふと、食事について、巡り巡って行き着きました。
 人間は実に色々なものを食べますよね。
 タンパク質を摂るために、牛や豚、鶏、魚の肉を食べたり、あるいは豆を食べたり、また虫を食べたり。
 ビタミンを摂るために、果実を食べたり、野菜を食べたり、肉を食べたり、また虫を食べたり。
 でも、食べるからって、全部必要なわけじゃない。
 消化せずにいつも排泄されているものも多いはず。その存在を一個丸ごと口にしても、消化器官は必要な物質だけを抽出して残りを排泄物として外に出す。
 例えばビタミンを摂取しようとして、一日に蜜柑や檸檬を何十個も口にしたところで、そのほとんどは不要なものとして排泄されてしまいます(あるいは何らかの中毒症状が出るかもしれません)。
 一日に必要な量というのは概ね決まっていて、それ以上に摂取すれば身体は悲鳴を上げ、あるいは極めて不合理に贅沢をその腹にため込むことになります。
 これって、読書と一緒だな、と思いました。

 もちろん、個人差はあります。一応断っておきますけどね。
 一日に必要な量が、一般的な人のそれを基本的に逸脱している人だって、います。身長が同じでも、筋肉の量が違ければ消費するカロリーには差が生じます。

 僕はそもそも、多読を是とする風潮に、ひどく厭悪しているわけです。
 結構これに賛同してくれる人も、最近は多いんじゃないかと思います。

 大人が若者に口にする、若い内はたくさん本を読め、というあれ。
 あるいは啓蒙本が煽る、見聞の拡大を引き合いに出した、多読。
 (中学高校の国語教師の、“徒に”主張する、漫画ではなく、ラノベではなく、文学を読めというあれも、これと似た問題だと思います)
 僕にはそれが全然的外れのように思われてなりませんでした。

 たくさん本を読むことは確かに悪いことはないでしょう。
 それが、長期にわたって積み重ねるものなら。
 それに中には知能の擢んでた人もいて、そういった人がスポンジが水を吸うように、自然と多読に至って知識を集積していくのは、なんら問題ないとは思います。

 飽くまで、知能的に未熟な段階においての話です(例えば僕みたいな)。

 では、何故短期間における多読が問題なのか。
 これは先ほどいったように、読書もまた食事なのです。
 これはよく言われますよね。心の食事だ、なんて。僕は正直この論説も嫌いなのですが(だって、口紅をべったり唇に塗りつけた、見るも卑しげな女性が好んで口にしそうな話じゃないですか。偏見? ええ、経験則に基づいた偏見です。)、でもこれは良い例えだと思います。
 いくら短期間にたくさん臓腑に文字を流し込んでも、それが吸収される度合いはそれぞれある程度決まっているのです。
 それを徒にたくさん口にしていれば、傲慢が腹に蓄えられて、鼻につくような横柄な態度を供出すること請け合いです。
 それは一種の、人格における病とも言えましょう。自然に吸収される以上の栄養素を摂取し続けたために、恒常性を破綻させてしまうのです。

 ちょっと言い過ぎかな?


 それに、読書というのが、その真価を発揮するのは、読んでからある程度の時間を経てからだと、僕は思います。
 というのは僕があまり感性的に豊かでないか、あんまり頭が良くないからなのかもしれないのですが、僕は初めて読む本の中の文字が、悉く乾燥した砂のように感じられるのです。
 けれど、時間が経ってそれを思い返してみると、あら不思議。
 まるで砂漠の一角に突然オアシスが出来るように、記憶の中の文字列からは、瑞々しい何かがじわじわと滲み出てくるのです。
 読んだ当初は何でもない、つまらない話だなと思っていても、時間が経ってみると、なんとも滋味溢れるもののように思われて、ふと考えを巡らせてみると、なるほど、実はそのつまらないと思っていた文章から滲み出た水に、自分はずっと喉を潤わせてきていたのかと、そう思い至るのです。

 それはまあ、読書だけではないですね。
 ゲームでも漫画でも、ラノベでも音楽でも、人間関係でもそうかもしれません。
 だからこそ、そのどれもが一期一会なれば、多読などに象徴されるような、出会いの全てを消費物と断ずるような風潮は、到底度し難いというわけです。

 とにかくたくさん読むよりかは、一冊だけでも、いつも懐に忍ばせておきたくなるような本を持ち得ることの方が、ずっと豊かな人間性の表れであると、僕は思いますよ。



 というわけで、今日は結構長くなりましたね。
 では、この辺で。
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