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へい!へい!

 明日はプリキュア!
 プリキュアの日だよ!

 今日は雨が降ってしまって憂鬱だけれども、明日はプリキュア! プリキュアなんだよ!
 さあ寝よう! 寝坊しつつしっかり8:30に目を覚ますなら! 今から寝る! 22時台に寝る!

 ふっふふー!
 寝るよ!寝る寝る!
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植え替え

 植え替えをしてあげたい。
 アイビーとパキラとコーヒーの木。

 日曜辺りに晴れるようだったらしてあげようかな?
 そうすると鉢と用土と肥料を買いに行かなくちゃ。

 ああ。はやく日曜にならないかなあ。


 そうそう。レモンバームの芽も出ましたよ。

 何故かスペアミントもペパーミントも発芽の勢いが弱いのですが(やっぱり種の小ささと関係があるのかな?)、他で発芽していないのは後はラベンダーくらいですね。

 はやく。はやく芽が出て欲しいな。


 最近、心の癒しが園芸だけになってる・・・。
 その内盆栽とかにも手を出しちゃいそう・・・。
 盆栽・・・興味あるけれど・・・。さすがにまだ手を出すには、早いかな・・・?

てってれてー

 てれてれてー。
 てーてーてー。

 てれってってー。
 てれってれってれってれ-!


※訳:うわあい。晴れ間が続いたおかげで発芽する種がたぁくさん! うれしいな!

いったい

 いつまでこうして短いブログを続けることになるのか。
 はやく。はやく僕にゆるりとした時間が訪れて欲しい。


 というかなんか地震多いですね。
 しかも割と大きめ。

 ようやく落ち着いてきたかな? と思ったら、こう震度5レベルが頻発すると、いよいよ剣呑ですね。

 三宅島の方からは、地震の恐ろしさにパニックになった鶏たちが大量死するという痛ましいニュースも届いています。
 「ふあ?! ゆれ、揺れてる! 揺れてるよ! 地面地面! やばい! やばいよみんなこっちきて! 集まって集まって! こわいこわい、・・・って、ちょっと、くるし・・・・・・、み、みんな、集まりすぎ・・・・・・くるしい・・・・・・ってあわわ揺れてる揺れてる! みんなこっち来て! 集まって集まって! うぐ・・・くるしい・・・・・・集まりすぎ・・・・・・って! わわ! 揺れてる揺れてるよ! みんな! ・・・くるし・・・い・・・。うぐぅ・・・・・・くたっ」
 って感じだったんですかね? それとももっと絶体絶命な感じ?


 なんにせよ、本当にもう大きな地震なんてこなくていい。
 仮に地震が可愛らしい幼女の姿をしていたとしても、僕の方からそっちに行くから、とりあえずだだっぴろい誰にも被害を及ばさないような大洋の真ん中あたりできゃっきゃしてほしい。


 はあ。
 さて、では。

ねねね

 のねむいでござる。
 という内容を、ブログに載せたところで何になるのか。
 読んだ人はいったいどんな気持ちになるのか。

 僕にはわからない。
 わからない・・・。
 今はただ、僕の心臓が睡眠を欲してばくばくと鼓動を打っているのみ。

 ああ。
 ああ。忙しい。もどきな僕。

 ねねね。ねねねのねむい。
 ねねね。ねねねのねむねむね。
 ねねねねね。そろそろねねねのゲシュタルト崩壊。
 ねがねに見えない。なんだこの右のくるんは。くるんは。
 くるんとしているのは、これはテンパか。それともゼンマイか。ワラビなのか。

 ねねね。ねねねねねねね。ねねねのねねねむい。


 というわけで。寝ます。おやすみんと。

ぜいたく

 昨日は更新するの忘れちゃってました。
 申し訳-!


 ところで突然ですが。
 良い車乗って―、ブランドもん身に着けて―、旨いもん喰って-、女の子と遊んでー。
 ってそういう生活が人生の至上であるような価値観。そういうのを持った人って、意外に多いものですよね。

 そういう人と話していると、まあ僕は基本お金の大して掛からない楽しみばっかりなので話が合わないので困っちゃうんですよね。

 どこそこの肉屋がうまいだの、ラーメン屋がうまいだの、カレーは1000円を超えるのはダメだの。
 食事にどうしてそんなに興味を持てるのか、僕には甚だ不思議でなりません。
 この点に関しては、僕もそこまでマイノリティではないんだと思っています。
 もちろんおいしいものが食べられるのは人間として嬉しいですが、でも何もおいしいものを食べられているからといって、その人の地位や価値が向上するわけではないというのに、まるでおいしい店を知っていて、よくそこで食べるというのが一つのステータスになっているような、それはまったく理解出来ませんよ。
 いや、お金持ちの人がうまいものを喰うのはわかるんですよ。それが標準なんだろうから。

 あと、ブランドものとか車。
 これも結局のところ、儀礼的な意味合い以上のものを持つようには思われません。
 フォーマルな席に置いては、無論のことしっかりした格好で身を固めなければなりませんが、しかしそれは欲求ではない。
 ブランドもので身を着飾って、それで自らの地位と価値が向上するように錯覚してしまうのは、これは全く卑しいことです。
 それ相応の品格の持ち主においてこそ、そういった質の高い服飾が映えるのであって、もとがただの庶民的な塵埃にまみれた品位のものが着飾っても、それはまるで中学生が煙草を吸うのと同じように思われてならないのです。


 と。こんなことを書いているのは、何を隠そう、ただの愚痴です。

 「ブランドもの欲しいっしょ?」「うまい肉食いたくない?」「いろんな店知っておいたほうが女の子と遊ぶ時にもいいよ?」
 とか、僕の嫌いなことばかりを話されたので、ここで持論を展開しました。

 「ブランドものとか自分どうせ似合わないんで」「肉に数万も掛けるならそのお金で別の欲しいもの買います」「女の子とかもういいっす」
 って感じのことをオブラートに包んで笑顔で答えていると、段々不満そうな顔がその人の顔に張り付いてきて、ようやく黙ってくれます。


 にしても。
 本当に、中身の無いこと無いこと。
 精神とか心というのを備えていないんでしょうか。

 その逆のことを、僕は思われて、また真実浅ましいと思われるのでしょうね。


 さて。
 愚痴ブログという最悪の形式を憚ることなく取ってしまいましたが、この辺で。

デュアル

 ディスプレイってテンション上がりますよね。
 僕はテレビとパソコンをHDMI→MiniHDMIで繋いでいるので、テレビの方でアニメを再生して、PCモニターの方で作業をしたりするのですが、これ最高。
 というわけで今もみなみけを見つつ書いています。

 ふっ。
 しかし結局。
 アニメの方に気を取られて、まともなことが書けなくなってしまうのですよ。
 そういうわけで、ふっ。

増強中

 体力を、つけるために、筋トレと、ランニング(ちょっと)を、しています。

 すると、不本意なことに、頭が、いつも以上に、巡らなくなります。

 だから、読点で、やたらめったら、文を区切って、いるわけです。

 どうして、体力を、増強しなければならない、のか、それは、また後日、機会があれば、ご説明致しましょう。

 では。

いずれ来たる未来

 その内の一つがやってきてしまいました。
 僕自身のことではないのですが、はい、つまり好きだった作家さんが亡くなってしまったということです。
 名を伏せても、わかる人にはわかると思います。
 名を伏せなくても、別段どうといったこともありません。
 けれど殊更に名を吹聴して誰それが亡くなったというのもおかしなことと思います。
 また妙な配慮をして名を伏せるのもまたおかしなことと思います。
 だから理由はないです。ただ名を上げたくはない。

 ならばブログなどに書かなければいいではないかというと、そうはいかないのです。
 僕自身、その人の亡くなったことの衝撃を面に出さずにいられないからです。

 その作家さんは一昨年から既に末期癌であることを公にされていて、手術や入院を繰り返し、それでもあと数巻で完結するだろうシリーズの執筆に力を入れていて、どうにかそれを書き上げてから、と、ツイッターの方でも呟いていました。
 呟きを鑑みるに、ともすると病状はそこまで思わしくもないのだろうかと見受けられるほど、何でもないように振る舞っておられたのですが、あまりに、あまりに呆気ないものであります。


 もっと活躍して欲しかった、などとは思いません。
 シリーズを完結して欲しかった、などとも思いません。
 永劫に渡って生き存えて欲しかった、などとも思いません。

 あのような好人物に絶望と死が訪れて、他の有象無象の人間が希望と生を手にしていることが、理不尽であるなどとも思いません。

 その人に生きていて欲しかったのか。そうは思わない。
 その人の死を心から忌避していたのか。そうとも思わない。

 その人がいずれ死ぬことだろうことは予期していたことで、手がけている作品を未完のままに残してしまう無念のことが、偲ばれるということもない。


 はっきり言って、かなり淡泊な心持ちなのです。
 どうとも思わない。と言ってしまっても、言い過ぎではないだろう。その言葉に苛烈なまでの後ろめたさを感じることを除いて。
 しばらくすれば、元の通りの自分に戻って、いつも通りの生活をしている。
 泣き崩れたり、頽れたり、正体を失うこともない。

 ただ。ふと念頭にその事実が浮上してきたとき。
 まざまざとその現実が目の前に迫ってきたとき。
 その人の言葉も作品も、意見も感情も、姿も形も。今後一切、現れ、生み出されていくことはない。
 全てその人のものを手にするとき、それは過去のものになっている。
 その人の言葉も意見も、好みも志向性も、全ては完結して変わることはない。

 そういった想念が、思考を鷲掴みにする。


 死という事実。
 これは、決して、冷たくって湿っぽい凍土などではない。

 冷たくもなければ熱くもない。
 湿っぽいどころか、ぼそぼそと節くれ立って乾燥していて、胸の中の血潮を全部吸い取っていってしまう。
 時々涙が出そうになる。
 でもそれは悲しいからとか、悔しいからとかが理由じゃない。
 ただ虚しくって虚しくって、胸がつらいから涙が出そうになる。


 冥福を祈るなどという形式上の表現は好まない。
 ただ実際のところの、僕の内面における影響をして故人への哀悼としたい。そう思います。


 しかし。
 しかし余りに、呆気ない。
 この現実は、実に受け入れがたいものだ。

にっこにっこにー

 にこちゃんかわいすぎて僕呼吸が苦しいです。
 ハァッ ハァッ ハァッ ッコポォ


 アニメは溜めて一気見する主義に転換したので、いま前期アニメを少しずつ追っています。
 ラブライブはうみちゃんがかわいすぎることを知っていたので見ようと思ったのですが、まさかのダークフォースにこちゃん。
 にこちゃんはにっこにっこにーが無ければもっと上を狙えたかもしれないのに・・・と言われているようですが、僕にはあれが痛可愛くって癖になってしまいました。
 ハァッ ハァッ ハァッ ッコポポォ


 にこちゃんは割と変態サン向けなんだと思います。
 にこちゃんを見てはぁはぁしている変態サンに、にこちゃんが(き・・・気持ち悪い・・・)って思いながら、微妙に引きつった笑顔でにっこにっこにー! って言うかと思うととっても愛くるしいです。
 だから僕もにこちゃんに気持ち悪がられるような変態サンになれたらいいな。
 なんて言っている時点で、せ、拙者、充分に変態でござった! あい! あいすまぬでござる! ッポココォッ


 そういえばなんか鼻腔に血が滲んでいる状態が最近多いのですが、これは何かの病気でしょうか。
 ちょっと恐い。

 というわけで。もちょっと余裕が出来たらまた長文ブログに戻ります。

用意しておいて

 折角小説のネタを用意しておいて、書くのは全然別のもの。
 今書いているのは、複黄卵から孵った双子の鳥のお話。
 基本的に複黄卵は孵ることがない(栄養が一羽分しかないため)ので、完全にファンタジーですね。
 なので鳥が思考します。鳥頭に思考します。

 あー、そういえば特に何の鳥とかは考えていなかったなー。
 まあ飽くまで人格を鳥っていう記号に入れなおして書くわけだから、特にモデルは必要ないかな?


 ていうか、たまには僕も忙しくなるんですね・・・。パトラッシュ・・・。

なにゆえ

 このように短い文章しか書かないブログを続けているのか?
 なにゆえ。
 僕にもわからない。

 強いて言うなら、・・・いや言うまい。強いて・・・、いや、言うまい。

 ・・・パトラッシュ・・・。

愈々

 春らしくなってきましたね。
 僕の蒔いた種たちは続々と芽を出しているというのに、どうしたことか、僕のやる気の芽は一向に出ないのだ。
 失敬。

はっ

 気がついたらこんな時間。
 なんということ!

うらがーん

 うらがーん。暴風が来るらしいですね。
 今夜辺りから。
 僕が心配なのは、土日なのに外出できないとかそういうんじゃなくって、庭に埋めた卵殻ちゃんのことだけです。
 せっかくミントの芽がようやくひとつ出てきたというのに、これでやられちゃったら、悲しすぎます。

 ということで一応鉢をひっくり返して防護しておいたのですが、さて、どうなるやら。


 それと鷹の爪なのですが、種を蒔いたのが3月の14日、ちょっと鷹の爪にしては早すぎる種蒔きということでああやっぱりダメになっちゃったかな? と思って土をほじくり返していたら、なんと、地上を目指してせっせこ芽を伸ばしている最中でした!
 プラスチックのピンセットで割と慎重に土をほじくり返してた甲斐もあって傷つけずに置くことが出来たので、そのままそっと土をかぶせて自力で芽を出すのを待つことにしました。
 いやあでも本当に感動しますね。

 ようやく春らしい暖かい日が続くようになってきて、ミントの芽も続々と出てきて、バジルは旺盛に育ってきていて、嬉しいです。

 でも春になって外に出してもいいかな? って思って観葉植物の面々もベランダに出して日に当てていたのですが、いきなり外に出しちゃったからかサンセベリアが弱ってしまいました。
 ポトスも日焼けしてしまって、パキラもちょっと葉が痛んでしまって。
 反省しています。


 ベランダに出しているので、これからは洗濯物などの陰になるように配置して、少しずつ日光にならしていこうかなと思います。


 さて、今現在僕は漱石のこころを読んでいます。
 以前も書いたのですが、こころは僕の大好きな本です。

 今になって読んでみると、まあ恋愛のお話も絡んでいるのと、やはり感傷に過ぎる感じはしますね。
 それでも、なお、どうしても惹きつけられてしまうのは、不思議なことです。

 この本とは、一生の付き合いになりそうです。


 それにしても暴風。
 春らしいといえばそれまでのこと、避けては通れない天候なので、文句を言っても仕方ないのですが、やっぱり植物を育てていたりする身だと、いやですね。
 外出できないのは、まあ元々外出自体を好んでする方ではないのでどうでもいいのですが。


 さて、今日は本を読みまくることにしましょうかね。
 では。

ネタ

 書きたい小説のネタが二つ出来ました。
 せっかくなのでここに書いときます。

 一つは中~長編。
 運命の書というのがあって、これを手にした者はそこに書かれた内容通りの結末に向かって進むことになる。また、その場合時空間は分岐する(ただしある次元(仮に*次元とする)に限り全ての時空間で共有される→運命の書は効果を発揮し時空間が分岐した段階で使用した時空間にのみ存在することになる(例えば後述する無の書を使用してゴキブリという存在を消した場合、ゴキブリの消えた時空間のみに運命の書は存在することになり、それ以外の時空間にあった無の書は全て消える))。
 運命の書は、常に可能性0の運命を綴っている。また、運命の書を手に出来るものは限られている(同じ存在でも時空間が異なれば手に出来ない場合もある(時空間A及びBに存在するトム10~15歳は手に出来るが、時空間Cに存在する同トムは生涯手に出来ないというような))。

 運命の書にはいくつかの種類がある。
 幸福を求める者に都合の良い結末を綴った書。不幸を求める者に都合の良い結末を綴った書。
 あるいは、永遠に同じ日が続く閉じた運命を記した書。あるいは何らかの存在を無かったことにしてしまう書(個人の全て、あるいは世界の全てなど範囲はある程度選択できる。書物の最後のページに空欄があってそこに消したいものを書きこむ)。

 書物は複数有り、相反する二つの運命を綴った書が同時空で(運命が未分岐の状態)所有された場合、一定期間(どちらかの運命の書が効果を発揮して時空間が分岐することになるまで)の間にどちらかの書物を消滅させなければ効果を発揮させられない他、一定期間を過ぎてもどちらも破壊されない場合、運命の書はその所有者と共に消滅する。またその場合どちらか一方が一方の生きている時間へと強制的に転移させられる(*次元を利用しての移動※後詳述)(運命の書の効果発揮までの時間は所有者の個体時間に左右されない)(※この部分を主軸にしてタイムスリップものとして展開していくのが楽かな?)。

 運命の書は、本来その時空に存在しないはずの運命を綴っているため、運命の書に綴られた運命が存在しうる時空には現れない。例えると、特定の時空に空いた可能性0という穴から、*次元が覗いていて、そこから運命の書を取り出せる感じ。


 ※*次元を利用しての移動:全ての時空は直線軸ではなく、回転する円環で表される。つまり、創造と終焉は直接連結していて繰り返される。創造が1、終焉が4として、終焉の4の次は創造の1に繋がっているとする。仮にトムが生きている時間が3として、対する運命の書を持っている太郎が生きている時間が2だったとすると、トムは*次元に退避して、時空の円環が回転する、つまり時間が経つのを待つ。すると時間は3→4→1→2と過ぎるので、この段階で*次元から通常次元に帰還する(こうするとトムが*次元を使って移動する前と後とでは太郎は厳密に言うと別人ということになってしまうが、当然のことながら太郎の方でも*次元に退避して一周してから通常次元に戻っている。よって太郎は、見知った時代、見知った光景のはずなのに、見知らぬ世界に迷い込んでしまったような気持ちになる。家族はいるかもしれない。ただし誰かいないことになっているかもしれないし、あるいは自分は既に死んでいるかもしれない)。そしてトムの書が、3→4で効果を発揮するとするとして、トムが通常次元に帰還してから後、時空間の円環上の3が4に達した時点でタイムオーバー。あるいはに、対する太郎の書が2→2.5で効果を発揮するとして、円環上でこちらの方がトムよりも早かった場合は、その時点でタイムオーバー。

 時空間の分岐は、円環のある一点から螺旋状に伸びて円環を綴る。そのため、上の例えで仮にトムが運命の書を使用できたとすると、3→分岐→終焉のⅣ(もとの時空の4とは違う終焉を表す)→創造のⅠ(1とは異なって、トムがもたらした運命の可能性がある時空の始発点)→Ⅱ→Ⅲ→Ⅳ→Ⅰ→Ⅱ・・・というようになる。

 また一つの時空間においても、運命の書を用いずとも常に多くの分岐が生じている。その場合の分岐は、時空が乖離するのではなく、例えるならば川に流される葉っぱが流れの激しい方を通るか、それとも緩やかな方を通るかの違い程度のこと。創造の形態も終焉の形態も大きく異なる場合もあるが、大局的には完全に安定して繰り返される。

 円環が回転する上で、運命の書による分岐が生じるのは、ある意味時空の突然変異といえる。
 時空は常に内包する全ての可能性による分岐を含んで創造と終焉を繰り返すが、あたかも突然川に大きな岩が落下してきて流れを阻むがごとく、起こるはずだった(可能性があった)にも関わらず、起こらなかったという、穴が生じる。これが一時的に出来た可能性0の穴であり、これを生じさせるに至った存在こそが、その穴から運命の書を取る事の出来るものとなる。
 穴はそれを生じせしめた存在(あるはずで、あらざる、仮にあるとされるもの)が、時空に定着することによって塞がり、時空は通常の回転に戻る。

 同じ円環上に二つ以上の穴が空き、且つ互いに互いの分岐を否定しあう(相反する運命)場合に限り、どちらかの書物が消滅するか、どちらも消滅するかという現象が生じる。

 まとめると、穴は放って置いても塞がる。ただし、運命の書を使った場合はその穴から新たな時空が生じる。
 しかし、相反する時空は同じ回転中に分岐することが出来ない。なぜならある可能性を含んだ時空が生じることをもう一方のある可能性が否定してしまうから(無理矢理相反する時空を同時に生じさせようとすれば、互いに打ち消しあって消滅する)。
 すると時空は二つのほくろ(考えやすいように穴を言い換え)をいったん切り離す。切り離されたほくろは*次元で近接し、どちらかの一方のより親和性の高い時空地点へと帰還する。
 ほくろは勝った方のみ分岐する時空で生きることが許される。負けた方は運命の書と共に消滅。あるいは*次元で機能している運命の書のどちらか一方が作用する段階に至った時点で運命の書はその可能性を打ち消しあい、所有者と共に消滅。


 というのが一つ。
 まだまだ設定の練り込みが足らないかもですが、おおもとはこんな感じ。ここから実際物語が進行していく上で必要な設定(運命の書が可能性0を0でなくさせるなら、魔法もありでバトルをさせるとか。それならなにがその魔法の威力及び性質を左右するのか)とか肉付けしていかなくちゃいけないですよね。
 まあ、気がついたら日付またいじゃったので、とりあえずこんな感じで。


 もう一個考えているのは、カラスと女の子のハートフルストーリー。
 これはカラスが人間をからかって遊ぶとか、カラスが車に積もった雪で滑って遊んだり、道具を巧みに操ったりする動画を見て、カラスかわいー! ちょーかわいー!! って思ったからで、あと、カラスの鳴き声が最近人の声のように情感を帯びているような気がしてならないという最近の僕の思いを具現化したくなったので。あ、あとそうだ。カラスって自分達を害した人間とかの顔を覚えてそれを集団に伝播する能力も持っているんですよね。そういった人間じみた結束力も気になってて。

 こっちは設定とか全然考えてないです。
 とりあえず、そうだなー。
 カラスに懐かれちゃった女の子がいて、カラスに懐かれるなんて不気味―! ってなって虐められたり大人達からも陰口を叩かれたりして、肩身の狭い思いをして、でもそれでも優しくしてくれた男の子がいて、男の子は女の子が虐められるのはカラスのせいだと思って、カラスを殺して、男の子はカラスから憎まれて、カラスに男の子が怪我をさせられて、そしたらカラスをけしかけたのって女の子じゃないのーって大人とか子供に女の子がさらに虐められて、女の子は一番仲のよかったカラスも(男の子に)殺されて好きになっていた男の子とも会うことも出来なくなって、どうしようもなく辛くてカラスのせいだ!ってなんの関係もないカラスを攻撃しようとするんだけどやっぱりできなくて、それであるとき同級生にいじめられているところをカラスがやってきていじめている奴らをたたきのめして(カラスは女の子を仲間として認識していて、それを害する人間を覚えていて攻撃した)、女の子は自分の身勝手さに気がついて涙して、そうして更に仲のよかったカラスを殺したのが自分の好きだった男の子だっていうことを知って絶望して、自分も含めて本当になんて人間は身勝手なんだろうって、屋上に上がって自殺しようとするんだけど、そしたらカラスたちが一斉にやってきて(カラスは目に見えた“仲間”のもとに集まっただけ)女の子は自殺を思いとどまる、っていう、こういうのどうかな。



 さて、さて。
 今日はこんな感じで。では。

淫する

 淫してみました。
 ちょっとずつ読むつもりだったんですけれどね。
 気がついたら一気に読んでしまっていました。

 はい。
 そうです。
 米澤穂信『インシテミル』
 いやー、すんごく面白かったです。
 僕ってこういう作品好きだったんだー、って思うような、湿っぽくもなく、陰鬱でもなく、高尚でもなく、示唆に富んだものでもない、極めてあっさりとした内容。
 純粋に推理を楽しむように出来ている作品。

 性的な陰もなく、愛憎入り乱れるわけでなく、人の胸中に空いた暗がりを描くでもなく。
 事件があり、それを推理していく。
 なんて。なんて楽しいんだ。

 読み終わった後のこの心地よさ。
 こんな感覚が嘗てあっただろうか。

 はあ。
 ああああ。
 たまらないですね・・・。

 あ、でもあんまりおすすめはしないと思います。
 読んだらきっと楽しいよ、って感じで、だけど是非読んで読んだらきっと君の人生変わるよ! っていうのじゃない。
 飽くまで 楽しいよ っていうこと。

 ちょっと例えは悪いかもしれませんが、ギャグマンガを読む感じ。
 お腹を抱えて笑い転げる代わりに、そうか! なるほど! その線があったか!! ちっくしょー思いつかなかったぜー! ってなる感じ。


 いやああ。楽しかった-。
 うみゅううううう米澤作品をもっと読みたいー! けどあと残りは折れた竜骨とボトルネック。それと短編集が一つ。
 大事に、大事に読まなければ・・・!



 さて。
 ですね。
 次に控えますは、漱石の坊っちゃんとそれから。
 新年度が始まったということで、原点回帰的な。
 僕がまともに小説を読むようになったのは、中学の頃にこころを読んでからなのです。
 それから何度も何度もこころだけは読み返していて(書き写しも途中までですがしたことも)、だから読書があんまり好きでない僕のほとんど唯一といっていい、好きな小説なのです。
 坊っちゃんも一度は目を通してあるのですが、改めて読み直してみたくなったので、坊っちゃんを読もうと思います。
 いや、改めてこころをもう一度読み返してからというのも悪くないな?
 まあとにかく。
 漱石っていいですよね。
 読みやすい上に、あんなにいい文章なのだから。ああ。楽しみ。



 さて、さて。
 書くことも他に無いので、今日はこの辺で。

 雨が降っていますね。
 一日中。
 おかげで寒い日が続きます。
 つい先日は暖かくって外を歩いていると汗をかくほどだったというのに、こんなに寒いとキーボードを打つ手が凍えて痛いくらいですよ。
 早く暖かい日が続いて欲しいです。

 それに雨が降っていると出かけるのが半端無くだるいですよね。
 ホント。
 言うまでもないことですが。

 でも子供の頃はやっぱり雨って好きでした。
 なんででしょう。
 もちろん登下校の際靴がぐっしょり濡れちゃって深いな思いをした記憶もあるのですが、現在のように、ただ雨が降っているだけという理由で気が塞いだりなんてしませんでした。

 特に新しい傘なんかをゲットしたときなんか、むしろ早く雨が降って欲しくてたまらなかったですね。
 長靴でびしゃびしゃ水溜まりを踏んだり、傘についた水滴をジャンプ傘でぱしゃって開いて友達に浴びせたり、浴びせられたり。

 そういうことをしなくても、なんとなく雨というのは心が躍るものがありました。
 いつもよりちょっと薄暗い教室。気怠い授業中、窓についた水滴が伝うのを見て暇つぶしをしていたこと。
 廊下に広がる上履きの足跡。

 癖っ毛を気にしてしょっちゅう髪を弄っている女の子。
 蒸し暑さから制服のズボンをたくしあげてだるそうにしている男子。

 ああ、そうですね。
 そろそろ梅雨が来るんですね。
 梅雨と言えば、僕は毎年それを題材にした小説を書いています。
 今年も何か、書こうと思います。

 うん。

 うん。

 だめだ。
 これ以上話が浮かばない。


 雨の思い出。なにかないかな?

 うーん。


 あ!
 そうだ!!
 ストパン!
 ストパンの、あのロリさーにゃんのシーン!
 1期でしたよね。さーにゃんの回想で、お父さんのことに触れるシーン。
 あれ。まじで最高ですよねぇ・・・。
 ロリさーにゃんが天使過ぎるのも然り、あの雨の日の微妙な空気感が半端無い・・・。

 雨の日の、なんともいえない切なさ、陰鬱さ。それでいて、家の中の安心感。
 雨の音を外に聞きながら、文化的なことに耽る。
 その風情が。
 ああ。
 ロリさーにゃんが可愛いというだけでなく、演出上の要としてしっかり機能している。
 そう。幼い頃の雨の日の郷愁。ああ。ああ。たまらない。


 そういえばストパンの劇場版見ていませんね。
 そろそろ見たいなあ。
 どうなんだろう。あんまり評判を聞かないけれど。

 淫獣は復活するのかな? 復活するとええーって感じだけれども、復活しないと主人公なのにちょっとしまらない感じ。
 観たい映画が多すぎますね・・・。


 とりあえず、アニメだとストパン以外に、マイマイ新子、アリーテ姫、千年女優。あ、あと皆殺Cの映画、別な意味でみたかったり・・・
 実写だと、時計仕掛けのオレンジ、悪の教典、羊たちの沈黙、最高の人生の見つけ方、アウトレイジといったところでしょうか。

 普通のテレビアニメとかだと、何の気負いも無しにいつでも見ようって気持ちになれるのですが、映画って、なんていうか気構えが必要なんですよね。
 映画を観ると絶対向こう側に魂を持ってかれちゃうので、ホント、覚悟が必要なわけです。



 あ、話は飛びますが、今米澤穂信の『インシテミル』読んでいます。
 おもしろい。面白いですね。
 少し前に映画をテレビで放映していたような気がしますが、その時はなんだかツイッター上であんまり芳しくない意見が目につきました。
 もしかしてオチが弱いのかな? とか思いつつ、でも映画の方の出来が悪かったんじゃないの? はたまた、見る目の無い人の意見だった? という感じで、今半分以上読みましたが、面白くて面白くてたまりません。

 ただ、ミステリを読むときの常なのですが、自分でいくら考えても、文章を追う以外に自らの仮説を検証する術がないのがなんとも歯がゆいですね。
 ああ、自分だったらこうするのに。ああ、こうすればもっと効率的に事を運べるのに。とか。



 さて、なんだかんだ下らない内容でそれなりの文量を書けましたね。
 どうやら明日も雨のようで、僕の部屋の植物たちが日光を求めているような気もするのですが、さて、晴れが恋しいですね。


 ではこの辺で。

彼女

 今、僕は抑えようのない衝動に駆られている。
 彼女が欲しい。
 心底欲しい。
 滅茶苦茶欲しい。
 欲しすぎて死んじゃうくらい欲しい。
 彼女欲しい。

 ここまでの衝動に駆られたのは何時以来のことだろうか。
 小学生の頃、クラスの中でも一際輝いて見えたあの子に彼氏が出来てしまった時だろうか。
 それとも中学生の頃、女の子の身体には人には決して見せない秘密の部位があり、例外的に見ることが許されるのは恋人関係にある男の子のみであることを知り、且つその部位こそが暴走するリビドーの正統なる発露の場であることを知ってしまった時だろうか。
 はたまた、高校に上がり、そこで出来た特殊な友人から借り受けたギャルゲーによって、恋愛の神聖さ、人格としての女の子の尊さ、男児たるもの女の子の危機に際してはその身命を賭しても守り抜くことこそ、この世に生を受けたただ一つの意味であると知らしめられたその時だろうか。
 あるいは大学に入って、一生涯愛し続けられるだろうと信じられた女の子に対し、愛情を保てなくなり自らのアイデンティティを喪失し、それを慰めるためにこそまた新たなる女の子を欲した、あの時だろうか。

 僕は。
 僕は彼女が欲しい。

 恋愛というものが、単なる生殖の前段階に過ぎず、その主たる目的は次世代を確実に育て上げるための伴侶を選定する期間であり、また数多いる女性の中から最も自分の遺伝子と相性の良い個体であるかどうかを確かめる、その猶予期間であるという極めて合理的且つ衝動的であったあの中学時代、あの頃付き合った女の子に対して犯してしまった過ちを、今ならきっと避けられる。

 恋愛というものが、この現世に存在することそのものの意味であり、恋愛を排除しては何物も立たず、勉学は愚か、遊び、趣味を二の次にしても、とにかく恋愛こそが至上であり、生物として、人間として、一存在として、最も優先すべき事柄であったと信じていたあの高校時代、あの頃付き合った女の子に対して犯してしまった過ちを、今ならきっと避けられる。

 恋愛というものが、ことごとく空虚であり、意味が無くただ形式としてのみ存在する、ある特異な関係性に過ぎず、ある者にとってはただ体よく性行為に及ぶための方便であり、ある者にとっては陶酔的な幻覚及び承認欲求を満たすための安易な手段であり、ある者にとってはその胸につけて自らの地位を公に知らしめ保証するための建前であるという想念に支配されたあの大学時代、あの頃付き合った女の子に対して犯してしまった過ちを、今ならきっと避けられる。


 おお。
 僕は罪深き人間だ。
 こんなにも多くの罪過を経ていながら、なおも新たな希望を欲するというのか。
 この胸を焦がす思い。ただの一時さえその場にとどまっておられないほどの衝動。

 ああ。
 指がつと触れあっただけで心臓が跳ね上がり、視線を絡ませ合うだけに多大な苦悩を要し、自らを高くから鳥瞰しては奇異な点はないか、何か気を悪くさせるような仕草はないか、今この時を、互いに大いに愉しむために自分が出来うることは何か、逡巡し、思い至って、尚踏み切る勇気を絞り出せない、何か、何かを口に出して、さあこの子のあの輝かしい笑顔を咲かせるのだ、さあ勇気を出せ、緊張を乗り越えろ。
 手足は震え、声は上ずり、肌は泡立ち、汗が頬を伝い、それらはまさしく生命の危機に瀕するがごとし状況であれど、なおもってその葛藤の奥には甘美なる痺れが存在する。


 彼女。
 彼女が欲しい。
 生涯を通して互いに支え合い、笑いあえる、そんな女の子が。
 苦しいときには、手を握り、互いにその苦しみを耐え忍び。
 悲しいときには、手を握り、互いの身体を温めあい。
 楽しいときには、手を握り、互いに顔合わせて笑いあい。
 怒れるときには、その魂の、ありのままの姿をぶつけあい。
 別れのときには、手を握り、満たされた面持ちで感謝を述べて。

 そう。
 これこそが、恋愛。
 僕の希求するもの。
 おお。なんと美しい関係。
 ああ。焦がれて止まない理想の関係。

 彼女。
 彼女が欲しい。
 さあ、誰か。誰か! 画面の中から!!! 出てきておくれよ!!!



 っていうね。
 はい。エイプリルフールのネタです。
 適当に思いつくままだらだら書いてみました。

 え? 本当はエイプリルフールに乗じて本心をさらけだしたんじゃないかって?
 まさか!!

 彼女?
 え? 彼女ってあれでしょ? あの、ラノベとかエロゲーのタイトルによく使われる名詞。
 幻なんでしょ?
 ユニコーンみたいな感じで、「角が生えてないのならいるよ、馬だけど。」的なあれで。「彼女? ああそこらじゅうにいるよ。俺には関係ないけど。」みたいな、そういうあれでしょ?

 要するに、女の子に角を生やしたみたいな感じ。
 女の子に角を生やすと彼女になる。でもそんなのいないよねー。ホモサピエンスの頭蓋に角なんて生えないよね―。っていうそういうの。ま、男の子の下半身にならたまに角生えるけどね! HAHAHAー! みたいな、ね。


 彼女なんて欲しくないし。
 一生キモオタ童貞で良いし。
 魔法とか使えるようになりたいし。
 みたいな。


 性関係として付き合うことって、男からしても女からしても、大人になって自分っていうものが出来上がっちゃうと、そんなにいいものではなくなっちゃうと思うんですよね。
 そこに大した発展性がないことがもうわかっているから。
 最初の方は、マジで一生ラブしっぱなし!! って感じなのが、数ヶ月も経てば、おいおいマジかよ俺どうかしちゃってたんじゃないか!? ってなるのが目に見えているので、そうなると、その間投資してきた時間が全ておじゃんなわけで、それならゲームするんでもアニメ見るんでも自分のことに時間使っとけばよかったー、ってなっちゃうんですよね。

 なので、嘘。
 彼女が欲しいという気持ちは思春期以降まったく感じられません。
 というか、そういう衝動に焦がれますよね。


 というわけで、今日はこの辺で。
 早く暖かい日が続くようになると良いですね。
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